日本三大奇祭のひとつ、岡山・西大寺のはだか祭りの紹介。
日本三大奇祭のひとつ、岡山・西大寺のはだか祭りとは、裸祭りとして有名な西大寺会陽(さいだいじえよう)は、岡山市にある西大寺観音院で毎年2月の第3土曜日の夜に行われる。2005年(平成17年)は、2月19日に開催され、ふんどし一丁の男たち約9千人が真夜中の12時に投下される2本の宝木(しんぎ)をめぐって激しい争奪戦を繰り広げた。500年を超えて今に伝わる西大寺の勇壮な裸の夜祭りである。
1959年(昭和34年)岡山県により重要無形民俗文化財に指定されている。
もともと西大寺会陽は、旧暦正月元旦から27日(にしちにち)つまり14日間続いた修正会結願の14日の夜半に行われていたが、
1962年(昭和37年)からは、毎年新暦2月の第3土曜日に行われるようになった。
裸祭りの概要は、結願当日、西大寺の旧町内を南北二つに分けて、太鼓を打って時(午後9、10、11時)を知らせる触れ太鼓がある。会陽に参加すべくふんどし姿になった人たちは、「わっしょい、わっしょい」というかけ声とともに山門より境内に入り、石門をくぐり、垢離(こり)取り場で身を清めた後、一旦本堂に詣でて千手観音を拝して、牛玉所大権現に詣で、本堂裏手を抜けて四本柱に至る。四本柱をくぐり抜けたあと本堂大床(おおゆか)で本押しに入る。
身体が熱せられると垢離取り場に行き清水を浴び、牛玉所・四本柱・大床コースをたどり再度押し合いに加わる。御福窓の脇窓からは清水方(せいすいかた)が柄杓で水をまく。
まず投牛玉(なげごおう)(枝牛玉(えだごおう)・串牛(くしご)・投牛(なげご)とも呼び、柳の細い木片5~6本を一束にして小形の牛玉紙を巻き、紙縒(こより)で結んである。)が100束ほど投げられ、次に宝木(しんぎ)が投げられる。一対となった二本の宝木は護符である牛玉紙(ごおうし)に巻かれて同時に投下される。
投下の瞬間は全ての明かりが消され、宝木が投下されると、その争奪戦は本堂大床(おおゆか)から徐々に境内へと移り、いくつかの渦と呼ばれるグループに分かれて揉み合いが繰り広げられる。なお、近年は宝木争奪戦は寺の境内に限定し、会陽奉賛会を通じないものは無効としている。
「宝木が抜けたもよう」というアナウンスがあるまで、観音院ではもみ合いが続いている。2本目の宝木が何時抜けたのか分からず、アナウンスが1回だけで終わったり、全くアナウンスがないときもある。宝木がもはや境内にないことが分かると、もみ合っていた群衆は散り始め、裸祭りは終了する。
宝木は、取り主(拾い主 最後に宝木を得た者)によって境内を抜け、宝木仮受所に指定されている西大寺商工会議所に持ちこまれると、白米を盛った一升桝で仮受けの後、検分役の寺僧が宝木削り(宝木の原木から宝木を削る行事)のときに切り放した元木と一升桝の宝木の木理(もくり 木目のこと)が合致するかどうかを判定する。真正なものであれば、取り主は晴れて福男に認定されるとともに、宝木は祝い主が用意した祝い込みの場所まで運ばれる。(近年、祝い主は、会陽奉賛会により事前に決められる。)
寺から赴いた山主は、宝木を朱塗りの丸形の厨子に納め、祈願して祝い主に渡す。かくして宝木は祝い主のものとなる。祝い主は45cm×120cmの白い額行灯(がくあんどん 横長の額の形に似た行灯)に御福頂戴と大書し、山主(住職)や取り主などを迎えてお祝いをする。宝木は1年で御利益がなくなるわけではないが、祝い主は毎年会陽の始まる前に宝木を寺に持ち込んで祈祷を受け、新たな気持ちで年を迎えるという。
1959年(昭和34年)岡山県により重要無形民俗文化財に指定されている。
もともと西大寺会陽は、旧暦正月元旦から27日(にしちにち)つまり14日間続いた修正会結願の14日の夜半に行われていたが、
1962年(昭和37年)からは、毎年新暦2月の第3土曜日に行われるようになった。
裸祭りの概要は、結願当日、西大寺の旧町内を南北二つに分けて、太鼓を打って時(午後9、10、11時)を知らせる触れ太鼓がある。会陽に参加すべくふんどし姿になった人たちは、「わっしょい、わっしょい」というかけ声とともに山門より境内に入り、石門をくぐり、垢離(こり)取り場で身を清めた後、一旦本堂に詣でて千手観音を拝して、牛玉所大権現に詣で、本堂裏手を抜けて四本柱に至る。四本柱をくぐり抜けたあと本堂大床(おおゆか)で本押しに入る。
身体が熱せられると垢離取り場に行き清水を浴び、牛玉所・四本柱・大床コースをたどり再度押し合いに加わる。御福窓の脇窓からは清水方(せいすいかた)が柄杓で水をまく。
まず投牛玉(なげごおう)(枝牛玉(えだごおう)・串牛(くしご)・投牛(なげご)とも呼び、柳の細い木片5~6本を一束にして小形の牛玉紙を巻き、紙縒(こより)で結んである。)が100束ほど投げられ、次に宝木(しんぎ)が投げられる。一対となった二本の宝木は護符である牛玉紙(ごおうし)に巻かれて同時に投下される。
投下の瞬間は全ての明かりが消され、宝木が投下されると、その争奪戦は本堂大床(おおゆか)から徐々に境内へと移り、いくつかの渦と呼ばれるグループに分かれて揉み合いが繰り広げられる。なお、近年は宝木争奪戦は寺の境内に限定し、会陽奉賛会を通じないものは無効としている。
「宝木が抜けたもよう」というアナウンスがあるまで、観音院ではもみ合いが続いている。2本目の宝木が何時抜けたのか分からず、アナウンスが1回だけで終わったり、全くアナウンスがないときもある。宝木がもはや境内にないことが分かると、もみ合っていた群衆は散り始め、裸祭りは終了する。
宝木は、取り主(拾い主 最後に宝木を得た者)によって境内を抜け、宝木仮受所に指定されている西大寺商工会議所に持ちこまれると、白米を盛った一升桝で仮受けの後、検分役の寺僧が宝木削り(宝木の原木から宝木を削る行事)のときに切り放した元木と一升桝の宝木の木理(もくり 木目のこと)が合致するかどうかを判定する。真正なものであれば、取り主は晴れて福男に認定されるとともに、宝木は祝い主が用意した祝い込みの場所まで運ばれる。(近年、祝い主は、会陽奉賛会により事前に決められる。)
寺から赴いた山主は、宝木を朱塗りの丸形の厨子に納め、祈願して祝い主に渡す。かくして宝木は祝い主のものとなる。祝い主は45cm×120cmの白い額行灯(がくあんどん 横長の額の形に似た行灯)に御福頂戴と大書し、山主(住職)や取り主などを迎えてお祝いをする。宝木は1年で御利益がなくなるわけではないが、祝い主は毎年会陽の始まる前に宝木を寺に持ち込んで祈祷を受け、新たな気持ちで年を迎えるという。