【1度もイエローカードをもらわなかった選手】ゲーリー・リネカー(イングランド)

サッカー選手として20年間の現役生活で
レッドカードどころか、1枚もイエローカードをもらわなかった選手がいます。

その選手とは、
イングランドのゲーリーリネカー(FW)です。

『ミスタークリーン』と呼ばれるほどフェアな選手で、
1991年には「FIFAフェアプレー賞」を受賞。
1999年には、ワールドサッカー誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で36位に選出された。

特に凄いのは、FIFA(国際サッカー連盟)が個人に対して賞を贈るのは
リネカーが史上初だというところです。

【ゲーリー・リネカー】

ゲーリー・ウィンストン・リネカー OBE(Gary Winston Lineker OBE、1960年11月30日-)は、
イングランド・レスター出身の元イングランド代表サッカー選手。
ポジションはFW。ガリー・リネカー、ギャリー・リネカーと表記される事も多い。

青果商の息子として生まれ、1974年に地元のクラブチーム・レスター・シティに入団。
1984年5月26日のスコットランド戦にてイングランド代表に初招集された。
1986年のワールドカップ・メキシコ大会では直前に手首を怪我しギプスをつけた状態で出場、
一次リーグ最終戦のポーランド戦で前半だけでハットトリックを達成するなど6得点を挙げて得点王に輝き、
1990年のワールドカップ・イタリア大会でも4得点を挙げ、その大会以降はブライアン・ロブソンの後を
継ぎ主将をつとめた。

イングランド代表通算歴代2位の48得点で迎えた1992年5月17日に行われたブラジルとの親善試合では
自ら得たPKを外し、歴代1位のボビー・チャールトンの代表49得点に並ぶ事は出来なかった。
直後に行われた欧州選手権でも得点を記録出来ないままにイングランド代表から引退した。

イングランド代表通算80キャップ48得点。ワールドカップ通算12試合出場10得点。現役通算333得点。

1984-85シーズンはレスター・シティで24得点、
1985-86シーズンはエバートンで30得点、
1989-90シーズンはトッテナムで24得点と得点王を3度獲得。全て異なるクラブでの記録であった。

1993年のJリーグ開幕時に名古屋グランパスエイトに移籍。
当時のJリーグ最高年俸(3億円)だった。しかし、当時のJリーグには「点で合わせる」という
彼のプレースタイルはまだ馴染みが薄く、怪我にも悩まされたため、Jリーグでは周囲が期待する程の
活躍が出来ないまま2年目の1994年シーズン終了後をもって現役を引退した(リーグ戦通算18試合出場4得点)。

出展:wikipediaより

■ワールドカップサッカー 英雄列伝11 ゲーリー・リネカー 1/2
[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=rGiuE2jduRA]

■ワールドカップサッカー 英雄列伝11 ゲーリー・リネカー 2/2
[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=Hwj_y0r1Nl0&feature=related]

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